成功率0% すべてが極限!!「運命を分けたザイル2」 あらすじと結末




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解説

ペルーアンデス山脈、高度6400mで遭難した登山家たちの極限状態をリアルに描き、劇場大ヒットを記録した『運命を分けたザイル』の感動と迫力が再びスクリーンに帰って来た。
事故後ジョーは6度の手術を繰り返し、9ヶ月間ギブスをはめ、歩行不可能とまでいわれるが、厳しいリハビリを続け奇跡の復活を遂げる。山への情熱を絶やすことなく“挑戦あるのみ”と意気込む彼は、尊敬する伝説の登山家トニー・クルツの最期の謎を追い巨大絶壁へ挑む!そこは、アルプスで非常に難度が高く危険なため、登山家たちからは「妄執の塊」と呼ばれるスイスアイガー北壁。高さ1800mの垂直の岩壁、 日が当たることはない“死のビバーク”と呼ばれる大氷田、数々の難所をクルツと同じルートで登攀していくことで、自身の壮絶な過去と彼の体験が重なっていく。
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たった1本のザイルが運命を決める究極の選択。生か、死か、切らなくては死んでしまう  
世界中を興奮と感動で震わせたもうひとつの「真実の物語」が今、蘇る。
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運命を分けたザイル2 [DVD]

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伝説の登山家トニー・クルツの最期

アイルランド人チャールズ・バリントンが1858年8月11日に初登攀して以来、1921年9月に日本の登山界の先駆者である槙有恒 ( まき ゆうこう ) 氏が東山稜を初登攀するといった快挙記録はあるものの、1930年代半ばまでアイガー ( Eiger ) 史に記録された登山は少ない。しかしその陰には、多くの登山家の死に至る悲劇があった。 

 1934年から北壁登頂への試みが始まり、アイガーが愛好家の注目を集めるようになった。しかし「アイガーは、国粋主義、政治、お金、競争、規則、国家など、登山界が普通はかかわりたいとは思わないような要素を伴って北壁が語られた」( 『アイガー 垂直のアリーナ』ダニエル・アンカー著 ) とあるように、ドイツナチスのヒトラーはアイガーをその政治に大いに利用した。第2次世界大戦前夜の1936年のベルリンオリンピックに向けヒトラーは、アイガー北壁を制覇したものには金メダルを授与すると約束した。

 金メダルのため、そして祖国の名誉のため1936年7月18日、ドイツのアンドレアス・ヒンターシュトイサーとトニー・クルツ、オーストリアのエディー・ライナーとヴィリー・アンゲラーの2隊が競いながら登頂を目指し、ヒンターシュトイサーが第1雪田の下の難しいトラバース(ヒンターシュトイサー・トラバース)に成功、さらに「死のビバーク」を越える位置まで登攀する。
しかしアンゲラーが負傷したことから2隊は助け合いながら下山することを決定、天候の悪化からビバークを余儀なくされる。7月21日、ザイルを回収してしまったことが仇となってヒンターシュトイサー・トラバースで行き詰る。
このため北壁に開いているアイガーヴァント駅の坑道からの脱出を試て懸垂下降を繰り返したものの、クルツを除く3人が墜落などで相次いで死亡。
クルツも救助隊の元にザイルで下りる際にカラビナにザイルの結び目が引っかかるという悲劇に見舞われ、体力を消耗し切っていたために結び目を外すことが出来ず、ザイルにぶら下がったまま、7月22日、
「もうダメだ」
の一言を残して力尽きる。救助隊のわずか数メートル上であった。
彼の遺体は長い間放置され続け、村から双眼鏡で見ることができた。
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